モンテヴェルディ「ポッペア」を聴く

バロック・オペラの一大傑作、でも聴き方が難しい

古楽を愉しみ、オペラを愉しむと、
行き着く先はモンテヴェルディです。
その最晩年に書かれた
オペラ「ポッペアの戴冠」
十数年前に購入した際は
「何なの?このオペラ」という状態で、
まったく理解できませんでした。
ヴェルディやプッチーニとは
だいぶ趣の異なる音楽だったからです。

モンテヴェルディ
歌劇「ポッペアの戴冠」

歌劇「ポッペアの戴冠」

モンテヴェルディ:
 歌劇「ポッペアの戴冠」全曲

ポッペア:
 シルヴィア・マクネアー(S)
オッターヴィア:
 アンネ・ゾフィー・フォン・オッター
  (Ms)
ネローネ:
 ダーナ・ハンチャード(S)
オットーネ:
 マイケル・チャンス(C-T)
セネカ:
 フランチェスコ・エッレロ・
  ダルテーニャ(Bs)
ドゥルシッラ:
 キャサリン・ボット(S)
アルナルタ:
 ベルナルダ・フィンク(A)
乳母:
 ロベルト・バルコーニ(C-T)
イングリッシュ・バロック・ソロイスツ
ジョン・エリオット・ガーディナー(指揮)
録音:1993年

どこがヴェルディやプッチーニと
まったく違うのか?
「歌」がないのです。
多くの場合、
輸入盤を購入する私にとって、
オペラは歌詞がわからない前提で、
歌に耳を傾けるという
聴き方をしてきました。
ヘンデルグルックまでなら
まだ「歌」を聴けば愉しめます。
モンテヴェルディまで遡ると、
その「歌」がないのです。
「このアリアを愉しもう」といった
聴き方ができない作品なのです。

だとすれば、
本作品はどう味わうべきか?
音楽まるごと愉しむしかないのです。
本作品は何をどう
音楽として表現しようとしているのか、
その世界をまるごと味わうのが、
モンテヴェルディのオペラの
味わい方なのだと感じます。
そのために必要なのは何か?
もちろん粗筋です。

歌詞対訳などなくてかまいません。
あっても言語が聴き取れない以上、
今どこを歌っているのか
わからないからです。
粗筋でいいのです。
こんな内容の物語が
展開しているという粗筋がわかれば、
ドラマを愉しめます。
本作品の粗筋は以下の通りです。

〔プロローグ〕
「幸運」「美徳」のどちらが偉大か
争っているところに
「愛」の神が割って入り、
「今日、私の力をお見せしましょう」と
言う。

〔第一幕〕
皇帝ネローネの時代のローマ、
ネローネはローマ騎士長オットーネの
妻ポッペアと情事を重ねている。
ネローネの妃オッターヴィアは
夫の浮気に悩まされている。
ネローネの家庭教師セネカは
それを諌めるが、ネローネは激怒する。
ネローネは妻を離婚して、
皇后にするとポッペアに告げる。
ポッペアは邪魔なセネカを消すために
ある事ない事をネローネに告げる。

〔第二幕〕
セネカは自ら死を選ぶ。
オッターヴィアはオットーネに
ポッペア殺害を命じる。
躊躇したもののオットーネは
それを受諾する。
オットーネは女官ドルジッラから
衣装を借り、
女装して昼寝中のポッペアを襲撃する。
しかし、愛の神がそれを遮る。

〔第三幕〕
衣服の目撃情報から、
ドルジッラが犯人として捕らえられる。
ネローネは死罪を言い渡すが、
現れたオットーネは
自分が真犯人であること、
オッターヴィアの命令であったことを
白状する。
ネローネは離縁の口実を得て喜び、
オットーネとドルジッラを国外追放、
オッターヴィアも離縁の上、
追放される。
王宮ではポッペアが
新皇后として祝福を受ける。

この粗筋を知ったときは驚きました。
「悪の勝利」だからです。
勧善懲悪が当たり前のこととして
身に染みている
私たち日本人の感覚からすれば、
理解不能の作品です。
しかし読み取るべきは
そこではないのでしょう。
善悪や勝敗を取り除けば、
そこには実にどろどろとした
人間の愛憎劇が
滓のように沈殿しているのです。
だからこそ、そこに限りなく
人間くささを感じてしまうのです。

何度か聴き通してわかってきました。
このモンテヴェルディの造り上げた
初期バロックオペラの作品は、
ヘンデルやグルックとも似ていない、
さらにはヴェルディやロッシーニとも
まったく異なる。
では最も近い作曲家は誰か?
ワーグナーなのです。

モンテヴェルディの「ポッペア」は、
ワーグナーの音楽と似ているのです。
「歌」を廃し、
シームレスに流れる音楽で
切れ目なく続く伴奏と声が描く
物語世界なのです。
アリアで聴かせるのではなく、
音楽と言葉を融合させ、
その相乗効果で描こうとするものを
聴き手に伝えようとしているのです。
描かれるのは神々と人間。
それも両者の愛憎渦巻く官能の世界。
ただ、
管弦楽が成熟していなかった時代の
モンテヴェルディは、
室内楽的な簡素な管弦楽と
チェンバロによる伴奏に
頼らざるを得なかったことが、
豊潤な管弦楽に支えられた
ワーグナーの楽劇とは
異なるところでしょう。

1567 Monteverdi

もちろん
単純に似ているというのではなく、
後世のワーグナーが、
アリアを否定し、
モンテヴェルディの音楽スタイルに
回帰したと考えるのが
正しいのでしょう。
言い換えれば、
ワーグナーの音楽世界を、
その250年前のモンテヴェルディが
すでに先取りしていたという
ことなのです。
恐るべき先進性です。

ガーディナー指揮による本盤は、
発売後にレコード・アカデミー大賞を
受賞するなど、
当時かなり話題を集めた盤です。
ところが、購入当初、
聴いてもまったくわかりませんでした。
一度聴いてわからない音楽でも、
十数年後にわかり始めることが
あるから面白いのです。
やはり、音盤は愉し、です。

〔「ポッペア」の音盤について〕
「ポッペアの戴冠」も
いくつかの録音が登場しています。

映像も含めれば
かなりの数にのぼるようです。
もはやメジャーになりつつある
音楽といえます。

(2023.6.18)

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